英語の必要性と英語教室の選び方

来年度、長女が小学1年生になります。そこで、生活が大きく変化する入学時期をみはからって、新たに習い事を一つ増やそうかと考えています。候補はもう決まってるんです。まえまえから、気になっていた近所にある、とある個人の英語教室です。では、なぜ私が数ある習い事のなかから英語教室というジャンルを選択し、さらに周辺に幾つもある英語教室のなかから、その英語教室を選んだのかを教室を選ぶコツを踏まえながら説明したいと思います。結構長いですが読んでいただければ幸いです。

英語ができなくても活躍できる

そもそも、私は早期教育としての英語教育は必要ないと考えています。英語を幼児のうちから習わせている、ご家庭の両親は何を目標にしているのでしょうか?おそらく、小さいころからネイティブの発音を聴かせることによって日本人には区別のつきずらいLやRの発音に慣れさせ、できるだけバイリンガルに育てたいと思っているのでしょう。はたまた、早くから日常の英単語を取得して、来たるべき大学受験に備えているのでしょうか。しかし、バイリンガルのような発音できなくても国際的に活躍している日本の著名人はたくさんいますし、ノーベル賞を受賞するほどの功績が国際的に認められている日本人もいます。きれいでカッコよく、わかりやすい英語じゃなくても、カタコトでも機能的で要件が伝わる英語なら、それでいいのではないでしょうか?外国人力士でも、カタコトな日本語ですが、ちゃんとインタビューに答えてますし、聞いている側も不快にはなりませんよね?

英語という教科の位置づけ

所詮、英語は言語であり、何かを為すための道具です。特に女の子は海外の映画や音楽、ファッションの影響からか、英語という科目に興味をもちやすい傾向にあります。一度は通訳という職業に憧れて語学留学やホームステイをしたいと考えることがあるでしょう。しかし、その夢を実現して通訳になるためはよほど強い信念がないと失敗に終わるでしょう。なぜなら、英語だけを勉強し続けるにはモチベーションを維持するのに限界があります。そもそも、通訳って英語が喋れるだけでなれるのでしょうか?英語を勉強するにあたって、英語そのものを勉強するよりも、べつの専門科目を突き詰めて勉強し、研究していく過程で、海外の文献や学会に参加する必要性が生じ、必要に迫られて英語を勉強するのでなくては、本当の英語は身につかないと思います。それが学術的なものでなくても、ビジネスで必要であっても同じです。情報を収集したり発信するための道具なのです。直接的な勉強の目的が英語でなく、間接的に英語を勉強するほうがモチベーションを保ちやすいので精神的に効率的です。そうすれば専門知識+英語能力が同時に身につくので一石二鳥です。

早期からの英語教室は受験に有利か?

では、大学受験に有利かといわれると、そりゃ、大変有利なことに間違いはないでしょうが、それは費用的にも時間的にも経済的でしょうか?例えば3歳から英語教室に通いだし、英語教育に毎月5000円かかったとします。大学受験までの15年間習い続けたとしてそれに係る費用は90万円です。大学入試の一科目に90万円は高すぎですよね。それだけ英語教育に時間とお金をかけたのなら、随分と大学受験のときには有利になっていることでしょう。しかし、現実はそうではなく、聞くところによると、就学前から英語を習っていた子どもと中学校で初めて授業として英語を学習し始めた子どもを大学入試の英語の成績で比べた場合、そこまで大きな差はなかったといわれています。確かに、幼児が英語教室で1年かかって習うような簡単な英語は、中学生になれば1~2時間の英語の授業で習得できそうな気がします。

外国語としての英語と学校英語

日本人にとって英語はアラビア語やロシア語とともに最も習得しにくい言語であると言われています。それは日本語と英語の類似性が少なく、日本語からみた相対的難易度が高いからです。日本人は世界の主要な国民のなかでも最も英語が下手です。日本人の場合、中学から大学まで勉強しているにもかかわらず、とても使える英語にはなりません。そのような人的資本(英語を話せる能力)に多くの時間と金額を投資しても、投資した分の費用を将来、就職したときに回収できるでしょうか?日本人の英語教育投資は、その習得能力の低さから非常に収益率が低いといわれています。ですので、英語教育の場合は、早期教育のなかに入れるべきではなく、目標とする大学の入試に必要なぶんだけの最低限の時間的金銭的投資に抑えるべきだと思います。「塾に行かずに東大に受かる勉強法」によると、大学受験英語でいえば、英語のカリキュラムは中学校の分量よりも高校に多く分量が偏っているそうです。中高一貫校では、その分量が均等になってますが、中高一貫でない場合、中学校の英語の内容が非常に簡単で、そのぶん大学受験を控えた高校で学習内容が多く、時間的にタイトとなっています。経済的な観点からすると、子どもの英語教育は中学から本格的に開始し、その基本的な方向性は中学と高校の学習分量を均等にすることで(できれば前倒しにし)、大学受験を控えた高校生活にゆとりを持たせることが最適だと思われます。

英語教室や習い事の選び方

ここで、遠回りになりましたが、上述のとおり、私は英語の早期教育は必要ないと考えています。にもかかわらず、なぜ今回、小学校入学をひかえた長女の英語教室への通塾を考えているのでしょうか?矛盾してますよね。簡単にいうと、その個人がやっている英語教室の内容が非常に良かったからです。英語教室の内容や方法、先生の教育に対しての考え方が教室のブログに詳しく掲載されていて、さらに熱心さも伝わってくることから、我が子にとって非常に有益だと判断したからです。ここにポイントがあります。英語教室だけでなく、全ての習い事を選ぶ際のポイントは、教室の看板やホームページの簡単なキャッチフレーズで判断するのではなく、教えている先生で判断することです。まず、先生個人がブログを更新していることがその判断材料になります。教室や塾全体としてブログをやっていて、複数の人間で更新しているブログはダメです。先生個人の考え方が読み取れないとダメです。そのブログには先生の教育に対する試行錯誤や創意工夫があらわれています。長女はピアノ教室にも通っているのですが、ピアノ教室を選んだときも同じでした。ピアノの先生がブログをしており、それをネット上で発見して、子どもを習わせるまえにブログを隅から隅まで熟読して、通わせるかどうかを判断したのです。結果、そのピアノ教室は正解でした。また、長女は以前、体操教室にも通っていました。そこは教室全体としてブログをやってましたが、教える先生が更新しているわけではないため先生による指導に対しての試行錯誤のあとがみえませんでした。当時、私は体操教室のホームページに書いてある簡単な説明と体験レッスンだけで判断して通わせてしまったのです。結果は途中で娘が先生を嫌になり1年しか続きませんでした。体操という運動自体は好きなのに、体操教室がきびし過ぎて嫌になったのです。また、その頃には私もその体操教室のやり方に対して疑問を抱いていた時期でした。

私が信条を変えてでも通わせたかった理由

さて、その私が来年度に長女を通わせようと画策している英語教室なんですが、ただ、ひと通りブログを読んだだけなので、実際のところその教室が本当に良いのかはわかりません。私が気に入ったところは、英語教室というよりも英語活動といった様子で、先生のアグレッシブな性格が生徒たちに感染しているような印象を受けました。カリキュラムのなかにフォニックスがはいているのも私と考えが似てます。また、市教育委が開催する「中学生英語暗唱・スピーチ大会」に、その教室から2名も学校選抜として出場しており、優秀な成績を修めているそうです。私は恥ずかしがり屋なので学生のころから英語を進んでガツガツと発音したり、外国人と話すチャンスがあっても、間違うのが怖くて話そうとしませんでした。娘も同じような引っ込み思案な性格なので、「間違ってもいい、発音がめちゃくちゃでもいい」という精神でガツガツと話す積極的に話す人間になってほしいと思っています。今のままでは英語のスピーチコンテストの檀上に立つという経験を娘がすることは絶対にないでしょう。その教室の先生と接していれば、いずれ、先生の性格が伝播して、英語に積極的な性格になってくれそうな気がしました。その教室に通わせるというよりも、その先生に預けてみたいという心境です。英語技術の向上を狙うというよりも、ひととなりを改革するための人間教室に通わせるつもりです。だから、早期教育に英語は必要ないという信条があるにもかかわらず、月に5000円という大金をはたいてまで通わせようと思ったのです。新年度に長女が通い始めたらまた状況を報告いたします。

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