親が勝手に良かれと思っている
親としては、我が子にはオモチャにしても遊びにしても教育的に良いものを選んで欲しいと思うのが親の心情ですよね。しかし、なかなか思うようにはいかないのが子育ての難しいところです。例えば、2歳くらいの我が子の空間認知を伸ばそうと、知育玩具の積み木を買ってあげたとしても、積み木で遊んでくれずに、ぬいぐるみを赤ちゃんにみたてて、ごっこ遊びをしていたり(まぁ、みたて遊びも大切なんですけど)、また、サッカーの上達を狙って、サッカーボールを持って子どもと公園に行ったはいいが、ボールには見向きもせずにブランコやすべり台で遊んでしまっているなど、なかなか、親の思惑通りにいかないことって多々あります。さらに悪いことに、親の望む遊びをしてほしいがために「これで遊びなさい」と強要すればするほど、子どもの興味は遠ざかってしまいます。子どもは押し付けられるとやりたがらない生き物のようです。また、親が勝手に望ましいと決めつけていること自体が傲慢な考え方かもしれません。
子どもの興味の法則
私は、子どもが生まれてから今まで、いろいろな知育玩具や教材を、子どものあらゆる能力を高めようと期待を込めて買い与えてきました。しかし、そのほとんどは上手く子どもの興味を惹くことができずにだんだん使われなっていくか、少しの期間だけ夢中になってくれるか、全く興味を示さず無駄遣いに終わるかのどれかです。それでも私は、今でも、つい欲をだしてしまって、いろいろな物を買いそろえてしまうのです。そして、今までの経験を踏まえて、なんとなく気付いたことがあります。それは、「子どもがその物事(玩具や遊び、教材)に興味を惹かれるかどうかは、その置かれた環境のなかに、複数ある物事の相対的な順位で決まる」ということです。
興味の引き出し方
つまり、その家に、遊び道具がサッカーボールしかなかったとしたら、親がボール遊びを仕向けなくても、子どもは勝手にサッカーボールで遊びます。なぜなら、その家にはサッカーボールしか遊び道具がないからです。大人にとっても、お菓子屋さんで煎餅や饅頭は魅力のない食べ物ですが、ひとたび、食べ物の何もない砂漠などの状況におかれたら、とても魅力的な食べ物に映りますよね。そんな感じです。そして、そんなサッカーボールしかない家に、ある日、突然、アンパンマンのぬいぐるみがやってきたとします。すると、間違いなくサッカーボールは使われなくなり、アンパンマンのぬいぐるみが遊びの対象となるでしょう。親としてはあまり望ましくない方向づけです。できれば運動神経の発達のためにサッカーボールで遊んで欲しいと望むはずです。
買い与えるのではなく環境を整える
まぁ、子どもの性格にも依りますが、戦隊もの、プリキュアもの、アンパンマンなどのキャラクターは、玩具としての子どもへの親和性かかなり強力で、親が夢中になって欲しいと望むどんな知育玩具よりも相対的に親和性が高いようです。子どもにとって、かなり依存性が強い存在だと言えます。私としては子どもに、「あやとり、竹馬、ボール、ブロック、パズル、トランプ、かるた、粘土、英語DVD、なわとび」などの遊びに夢中になって欲しいと思っているのですが、それ以外のオモチャの影響が強烈すぎて、大人にとって好ましいと思えるオモチャは影が薄いのが現状です。ですから、そうならないためにも、まだオモチャを何も買っていない家庭があったとしたら、慎重にオモチャ選びをするようアドバイスします。
なるべくなら玩具は買わない
もしかしたら家には、一つだってオモチャは無い方がいい場合があるかもしれません。そして、オモチャが無くても、紙と筆記用具、折り紙、厚紙、段ボール、のり、ひも、テープ、ハサミ、色ペンなどの文房具さえあれば、子どもはよりクリエイティブな遊びを考え出すかもしれません(親の手助けが必要でしょうが)。サイコロやすごろくを自作して遊んだり、飛行機を作ったり、ままごと道具を自作したりと、そっちの方が市販されている知育玩具よりも知育ですよね。自作するにあたって、工夫や試行錯誤があるから。もちろん、その場合、家ではテレビはつけてはダメですし、子どもがお店の玩具売り場でどんなに「買って買って!」と駄々をこねても買ってあげてはダメです。
具体的な玩具を置かないことで抽象思考を高める
また、「みたて遊び」をする際も、キャラクター系の人形やぬいぐるみなどの人称的で具体性のあるものが家にあると、それをみたて相手にしてしまいます。しかし、もしもそれらがなければ、子どもはスリッパやスプーンなど本来なら人称性の備わりそうにないものを使って「みたて遊び」をすると思います。そこには「IQをあげる習慣」でも書いた通り、より抽象的な思考が形成される思います。つまり、「ぬいぐるみ」と「人」は近いですが、「スリッパ」と「人」は比較的遠い関係にあるので、遠い関係のものを同じカテゴリーに括るという高い抽象思考が現れるわけです。やっぱり、玩具は無いにこしたことはないのです。
オモチャに子育てを任せる
でもなぜ、買い与えてはダメだとわかっていながら、親は子どもに親和性の強いキャラクター系の玩具を買い与えてしまうのでしょうか?おそらく、それは、子どもがそのキャラクターの玩具やテレビに夢中になっている間に、自分の用事や家事を済ませることができるからです。悲しことに私の家もそうです。そうでなければ、共働き夫婦の家庭は回りません。おまけに、優しい祖父母が孫の喜ぶ顔みたさにオモチャを爆買いします。しかし、子どもに比類ない発達を促したいのであれば、オモチャの爆買いを諌め、自分の用事は後回しにしてでも、子どもと一緒に遊ぶ時間を割かなければならないと思います。親和性の高い玩具やテレビに子育てを任せてしまってはダメなのは私も分かっているのです。私も、できるだけ、具体性の高い玩具は隠し、文房具や工作を駆使して子どもと同じ時間と空間と気持ちを共有したいと考えています。