会話に因果関係を
「子どもの屁理屈は論理的思考の下地」でも書きましたが、うちでは屁理屈は大歓迎です。ほぼ普通に会話ができるようになった2歳から、何か言語表現があるたびに「どうして?なんで?」と、その理由をしつこく聞いていました。最初は理由を聞いても何の反応もなく全く答えてくれなかったのですが、2歳5ヶ月頃から「だって、濡れるもん」とか「~するけん、~して」など、勝手に自分の表現したことに理由をプラスして言ってくれるようになりました。内容は我が勝手で、全然理屈があってなかったり笑ってしまうけど面白くて嬉しいです。そのうち、一般社会に適った理屈になっていくことでしょう。相手に伝えたい事があるとき、その意見がただの自分の我がままではなく、自分の意見を支える理由を論理的に説明できるようになって欲しい。
計算の仕方って人それぞれ
みんなは普段、普通に足し算ってやってると思うけど、意外にもみんなそれぞれ違った方略を使って計算していたりします。インプットとアウトプットは見えるけど、人の頭の中はブラックボックスなので他人がどんな方法で計算しているのかって結構わからないものです。それどころか普段は自分がどう計算しているのかすら意識しないでしょう。頭の内部で指を使ったり、そろばんを使ったり、「5」や「10」のまとまりを使ったり、一度簡単な数に分解して合成したり、直接記憶の中からすでに覚えている答え記憶を使って計算する人もいるでしょう。
ドッツカードを始めるのが遅かったから?
2歳8ヶ月の長女の場合、ドッツカードをやったのが遅かったから「真の数」を直接合成することはできないみたい。でも、数の概念はもう随分前からわかっているみたいなので、普段の会話のなかに頻繁に数を盛り込んでみました。何か物の遣り取りをする場合は必ず「1つ取って」とか「幾つ欲しい?」とか「二つあげる」と言うようにしています。次のステップとして指を使ったり、ドッツカードを使ったり、サイコロやナッツなど粒状のものを使ったりして足し算を教えてみました。根気よく続けていくと、2歳8か月には「5」で収まる範囲の足し算ができるようになりました。正答率は悪いけど「10」までの足し算もどうにか可能です。おそらく指の方略を使っているような気がします。
計算と眼球運動
人間の脳は、古くから持っている機能を使いまわして、より高次な処理を行っています。例えば、苦いという味覚を使いまわして辛いという情動を処理します。そして、計算は眼球運動の使いまわしなのだそうです。原始の時代より、ヒトは指を左右に見ることや、(数)直線上を右に眼球を動かすことで数の増加を処理してきたのでしょうか。そう考えるなら指を使って足し算を教えることは身体感覚も伴うことだし、とても理に適っているような気がします。