テレビって良いの悪いの?どっち?

みなさんは子どもとテレビとの接し方はどのようにしていますか?テレビというのは多大な影響を良くも悪くも人間に与えてしまうので、その取り扱い方は家庭によっても様々だと思います。同様にテレビの善し悪しに対する意見も育児書によってはバラバラなので何が正しいのか迷ってしまいます。私もテレビの扱い方に悩み、いろいろな書籍を参考にテレビについて考察してみました。結構長いので疲れるかもしれませんが読んでいただけたら幸いです。

テレビはみせてはいけないという立場

まずは、否定的な意見から。このブログでもよく紹介している苫米地さんの「IQ200になる習慣」では、テレビはIQを上げるのを阻害すると述べています。テレビは視聴者に一方的に情報を送りつけ、考える暇を与えないので、テレビを観ることは抽象度を下げる行為にほかならないと主張しています。そして、テレビは、誰にでもわかるように噛み砕いた情報を流し、画面の下にテロップを出すことから、考えることが苦手になり、与えれた情報を鵜呑みにしてしまうことで視野が狭くなると説いています。また、彼はオウム真理教の脱洗脳に関わった経歴から洗脳に関する知識も深く、テレビほど洗脳に適したツールはないとのことです。高木貞敬さんの「子育ての大脳生理学」でも、苫米地さんと同様の意見が述べられています。テレビは「積極性」と「行動力」を見る人から奪い取り、テレビの側で次々とお膳立てをして筋書きを進めてくれ、それに意義を申し立てても無駄だから、見る者は次第に積極性を失い、「ものを考える力」さえも失ってしまうとのことです。

テレビは関係ないし悪いことばかりではないという立場

次に、比較的肯定的か、テレビの危険性をまだはっきりと示した研究は少ないという意見もあります。それは中室牧子さんの「「学力」の経済学」によるものです。彼女は巷で言われている「テレビを観ることは、子どもに悪影響をもたらす」という報告は、その研究が「因果関係」を表しているのか「相間関係」を表しているのかがはっきりしないと言っています。例えば、「テレビをみると学力が落ちる」という仮説について言えば、「テレビの視聴時間が長いから学力が落ちるのか」それとも「学力の低い子どもが長時間テレビをみている」のかがはっきりしないということです。この著者が分析してみたところ、「テレビやゲームをやめさせても学習時間はほとんど増えない」とう結果がわかり、「一日1時間までならテレビもゲームも問題ないが、2時間以上だと学習時間に負の影響が大きくなる」ということです。他にもテレビに対して肯定的な意見の人は、ドッツカードのドーマン法を紹介した「天才児を創る! 」の三石由紀子さんです。彼女は「テレビを言葉の情報源と捉え、ドラマや映画のなかからも単語やことわざを、その場面で、状況や文脈に即した言葉の使い方を学べる良いところがあると述べています。また、時期や季節をはっきりと示した状況で、農作物や植物を見せたり、「サザエさん」のような日常生活を、日頃、子どもの視点ではみれないものを、台所に立っている人の視点でみせてくれたり、死語になりつつあるような重要な名詞、「羽子板や門松」などの言葉も由来まで解説してくれるメリットがあると言っています。

条件付き肯定な脳科学者の意見

中間的な意見の方もいます。脳科学おばあちゃんの旦那である脳科学者の久保田競先生です。彼の著書「育脳家族」では、思春期に、三時間以上テレビをみていたグループでは、一時間以内だったグループと比較して、学生時代には、集中してものごとに取り組むことができず、読解力も低いというアメリカの論文を紹介し、あまり見せすぎはいけませんよと述べている一方、「幼児の育脳教育」という著書では比較的肯定的なことも述べています。それはザックリいうと良い影響をもたらす番組は子どもに見せて、それについて会話をしたり、真似したり、歌ったりとその番組に応じた働きかけをし、良い影響を与えないと親が判断した番組は見せないというテレビを道具として上手に利用しましょうという妥協し、歩み寄った考えも持っているようです。同じ脳についての著作が多い、加藤俊徳先生の「MRI分析でわかった東大脳になる勉強習慣」では、テレビの情報は、東大生が得意な超前頭野への負荷は弱く、前頭葉が発達するまでの力にはなってくれないとあります。テレビの映像と音声くらいでは、せいぜい視覚系と聴覚系が刺激されるくらいで、より重要な前頭葉は発達しないということでしょう。そして、多くの現役東大生にインタビューをしていました。それによると、東大生は子どもの頃は親とテレビを視聴し、その番組もニュースやドキュメンタリー、映画などが中心で、一日の視聴時間も1、2時間程度だったという学生が多かったということです。彼によると、テレビを見ているとき、あるいは見た後の家族の団らんの仕方が重要で、そこで、有効なディスカッションがあるかないかが、テレビを好奇心の入り口として活用できている家庭と、暇つぶしの道具にしてしまっている家庭の違いになるということです。つまり、テレビそのものよりも、その後の家族の団らんが前頭葉の発達を促すという内容でした。

私はテレビで育ったけど子どもには微妙だな

では、上記に示したとおり、それぞれの専門家の意見を踏まえて、私の考え方や、実際に家でのテレビの扱い方を書いていこうと思います。私は小さいころから、一家団らんのときはテレビがついてましたし、テレビをみながら朝も夜も家族で食事を摂ってました。テレビの良い影響も悪い影響も十分受けていると思います。しかし、父がチャンネル権を握っていたこともあり、比較的、ニュースやドキュメンタリー、歴史物や世界の様子など教養番組が多く、娯楽番組は少なかった気がします。それについての家族の会話も多く、ときには討論みたいになった記憶もあります。上記の先生たちの提言からすると、そこまで悪いテレビの観かたではないような気がします。それに対し、私が父親になり子どもを育てている今の状況はどうでしょうか?子どもができた当初は、テレビをつけて団らんし食事を摂ってましたが、次第に、ご飯を食べることを忘れたり、話しかけても気づかなかったりと、テレビに注意が向き過ぎて、これは良くないと思うようになりました。私はテレビをみなくても全然平気なのですが、私の奥さんはテレビが大好きで、特にドラマやバラエティなどの娯楽番組を楽しみながら食事をすることが多い傾向にあります。しかし、さすがにママも、子どもの危険な状況に気づいたようで、今では泣く泣く食事のときはなるべくテレビを消して食べています。大人にとっては簡単なことでも、子どもにとっては、テレビをみながら、ご飯を食べたり、着替えたりすることは難しいみたいです。二つのことに同時に注意を向けたり、注意を持続したり、二重課題や並列処理というのは、いずれは子どもにもできるようになってほしい能力なのですがテレビというのは情報としての刺激が強すぎるみたいですね。容易に子どもたちの快楽という下り坂を駆け下りてしまいます。さらにそこにアンパンマンや仮面ライダーなどのキャラクターが加わったときにはそれに抗うすべはありません。

読書と同じくらい負荷がかかればOK

では、結局テレビってみせてもいいの?その番組をみることで、ある程度、脳に負荷やストレスがかかる状況が作れるのであれば良いと思います。例えば、本を読む場合はある程度の負荷がかかっていることは明らかですよね。だから、子どもたちが本を好きになりにくく、読書離れがすすむという本質的な原因でもありますが。読むのがしんどくても読んだ内容が快楽物質を放出するほどの報酬系を刺激すれば、また読むようになります。映画やドラマも子どもにとっては同様に負荷がかかると思います。私が高校生のころ、友達と映画館で洋画をみる際、登場人物がたくさんでてきて顔や名前、役割や何をしている人なのかを憶え、さらにストーリーも追わなければならないので「つらいなぁ」と感じたことがあります。そして、字幕の場合はそれなりの速さで読むことも求められます。なので、映画によっては結局、最後まで意味がわからずに終わった作品もありました。ですので、テレビというのは必ずしも受動的でなく、それなりに努力を払って注意して、能動的に情報を取り入れて理解しようとする行為が求められていると思います。読書と一緒で、楽しみな娯楽でもありがながら、少しつらい修行のようでもありました。登山にも通ずることがありますよね。

リアルタイムで放送されている番組はみせない

テレビに対して妥協的な我が家でも、テレビと向き合う場合に注意していることが、いくつかあります。まず一つ目は、テレビは基本的に、その時間に放送されているものはみせずに、録画してみせることにしています。リアルタイムで流れている番組は、見せない方がよいと思います。それは主導権がテレビ側にあるからです。受動的なテレビの要素をできるだけ取り除き、何かしなければならないタスクができたときは、いつでも止めて、そのタスクが終わったあとに続きをみることができるということができます。その姿勢は、この番組からはこういう情報を自ら取に行くという能動的なニュアンスが加わります。常に主導権は視聴者側が保持し、見るスケジュールや見る時間はこちら側が握ってなくてはなりません。テレビという快楽の坂を下っていきやすい道具は、「私には欲しい情報があるからみるんだ」という目的意識を持つ姿勢が大切だと思います。

批評的で矛盾点を指摘し内容についての話しをする観かた

二つ目は、テレビ番組の種類や内容とその見方です。できるだけ、アニメはみせたくないですが、特に30分ものアニメは絶対にみせません。いわゆるプリキュアや戦隊、ライダーもののような勧善懲悪と信賞必罰な内容で構成されたものです。30分と短いためストーリーが単純で、毎回、話しの流れも同じです。悪と善の二つに分けてしまう二元論も間違いなくIQを下げると思います。しかし、同じアニメでもしっかりとストーリーが練られているものは良いと思います。例えば、ジブリやドラえもんの大長編は、日常と違った世界を味わえますし、宇宙や科学的な現象などの難しい概念を多少強調して、子どもでも解りやすく形に視覚化してくれます。また、2時間のストーリーでは、最初の事がらや登場人物を短期記憶しておかなければならず、ワーキングメモリの訓練になりそうです。ときには幼児向けの「アンパンマン」や「はなカッパ」も見せますが、どちらかというと私は矛盾点を指摘して反面教師的にみせています。たとえば、「アンパンマンは正義の味方なのに、なんでも暴力で解決してるよね?どうしてバイキンマンと話し合いで解決しないのかな?」「アンパンマンの世界には人間はいるの?ジャムおじさんやバタコさんは人間なのかな?赤ちゃんマンはどう?空を飛べるけど」「アンパンマンとジャムおじさんの顔は似てるけど、実はジャムおじさんは若いころは先代のアンパンマンだったんじゃない?」「はなカッパって名前なの?それとも種族名?はなカッパ族って言葉がでてくるけれど、もし種族名なら個人名にも使われているはなカッパは変だよね。同じ種属にももカッパちゃんもいるけどさ」「アゲルちゃんは、はなカッパのことが好きみたいだけど、結婚して子どもができたらどうなるの?はなカッパとももカッパちゃんの家族はみんな、はなカッパ族みたいだけど。はなカッパ族は二家族でてるけど、他のお友達のカラバッチョやツネナリの種族は他にもいるのかな?」など、子どもの夢をぶち壊すような質問をよくします。「世の中にはこういう考え方、こういう見方もあるんだよ」という、世界をもう一段階拡げる一言や批判的思考を投げかけます。いろいろな世界や設定、背景の矛盾点を突く観かたをすることで、視点を変えることが重要な、数学の問題を解く方法や、問題解決方法や拡散的思考の下地となり、いずれは将来、イノベーションやパラダイムシフトがその子の思考のなかに起こりやすくします。また、それは洗脳されにくい人間をつくることでもあり、騙されにくく詐欺の被害にも合いにくくなります。一側面からみるのではなく、いろいろな方向からみれるようになると、歴史を勉強した場合にもアメリカ側の立場、や日本の立場で戦争をみたり、完全な正義や善悪などないのだと広い視野でみることができます。

我が家のテレビとの向き合い方まとめ

○一日1~2時間以内

○娯楽番組はみせない

○ドキュメンタリーや教養番組を多くし、見ているときや見たあとも家族の会話を多くする。

○30分のアニメや戦隊ものは見せない

○映画や1~2時間のアニメ映画はOK

○基本的にリアルタイムにみせずに、録画してみせる

○アニメでは設定や世界観の矛盾点や批評的な視点で議論する

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