育児書は何冊読んだほうがいいの?
私の場合は、子どもができて、一番最初に買って読んだ育児書は「ヨコミネ式 子供が天才になる4つのスイッチ」でした。その本をきっかけに育児書を多数読み漁るようになりましたが、結婚する前から、専門学校の履修科目として臨床心理学や解剖学、生理学、人間発達学などの基礎的な知識は修めていたので、どの育児書を読んでも、その育児方法の根拠とする理論はすんなり頭のなかに入っていきました。では、そもそも、子どもを育てるときに育児書って読む必要があるでしょうか?結論から言うと、たくさん読む必要があります。育児書を2~3冊読んだり、育児ブログを読むだけでは不十分だといえるでしょう。さらに、その子育てに早期教育と取り入れようとするのであればなおさらです。
数冊では偏った教育法になる
巷にはいろいろな育児の考え方や方法があふれており、それぞれの教育方法には、その拠り所にしている根拠や学問が異なります。そのため、2~3冊の育児書しか読んでいないのであれば、偏った教育方法になる危険性があります。知育をはじめとした記号操作に固執してしまったばかりに、友達と遊ぶことが苦手で、社会性が乏しくなってしまったり、親が強迫観念に駆られ、あれもこれもやらせなければと、子どもにいろいろ強要するあまり、引っ込み思案で抑制が利き過ぎた子どもに育ってしまったりと、結局、早期教育がマイナスの影響を及ぼしてしまうことがあります。それに、育児書によっては、全く反対のことをいっているものもあります。例えば、シュタイナー教育では「就学までは文字は教えない」といわれていますが、ヨコミネ式では「就学までには読み書きができるようにしなさい」と書かれています。他には、どんぐり倶楽部の糸山氏は「考える力が弱くなるので計算ドリルなどの反復練習はしたらいけない」といい、陰山メソッドでは「百ます計算にみられる単純な計算を反復させることで集中力や計算力と高めます」と正反対のことをいっています。他にも認知発達以外では、生まれたばかりのときから積極的にうつ伏せ(腹臥位)をとらせた方が良いといっている「ドーマン法」もあれば、それは危険だという考え方もある。また、母乳をできだけ、早く離乳させたほうが良いという考えもあれば、乳児が欲しがるだけ、乳がでるまで与え続けて良いという意見もある。このように育児方法というものはてんでバラバラで、2~3冊程度の育児書を読んだくらいでは、ただ、数ある育児方法の一つをやっているに過ぎません。では、10冊も20冊も読まなければならないのかというと、それはそれでやはり言っていることがバラバラなので混乱するだけなのかもしれません。では、育児書や教育法に対して、こちら側はどのようなスタンスで臨めばよいのでしょうか。
育児書や教育法をどのように捉えるか
数ある教育法、育児法のなかでどれが一番正しいのかというと。それはある意味どれも正しいと思います。世間を賑わせている数ある教育法のうち、その一つとして確立され、それを行っている教育施設や教育サービスが存在し、一定の成果を上げている以上、その教育法は、「教育」というものの、あるいち側面を正しく捉えているといえます。しかし、また、べつの側面はべつの教育法がより正しく捉えているだけの話しで、全ての側面を正しく言い表せている教育法というものは存在しないと思われます。ですから、全ての子どもに、ある一つの教育法が当てはまるということはありません。ある一時期のあるタイプの子どもが、こういうことをしている状況のときにだけ、ある一つの教育法が当てはまるだけで、同じ子どもでも、精神状態や場面や状況が変化すれば、また違う教育法を適応しなければならないということです。そのためにはたくさんの場面や状況(物語)に対応した教育法のレパートリが必要となってきます。そのレパートリーの数が多ければ多いほど、子どもに良い発達を促す可能性のある一瞬を見逃さずに気づくことができ、その状況に即した刺激方法、すなわち教育法を選択することができるのだと思います。それゆえに、育児書はできるだけたくさん読んでおく必要があるでしょう。
刺激のチャンスは突然やってくる
育児は、リアルタイムで臨機応変に対応しなければならいことが多く、当意即妙な事柄だと思います。育児書に載っていることを、「はい、今から、この教育法を始めます」とか「計画していたことを予定通りにやろう」なんてことにはなかなかなりません。育児書に書かれてあることは、生活の中で突然やってきます。そのときが、まさに刺激を入れるチャンスであり、タイミングが非常に難しいのです。そのうえ、想定していた状況とは完全に一致していないこともあります。そのようなときは、状況に即した形で、応用するしかないのです。
教育方法よりも考え方や根拠が大事
もし、親が「今日は3時にドリルをさせよう」とか「夕方に逆上がりをさせよう」と計画し、それが予定していたようなタイミングならば、その状況には作為的で不自然な雰囲気があると思います。子どもはその不自然な雰囲気を感じ取り、うまくその教育的刺激に反応しないことがあります。あくまでも、教育法による刺激は、生活のなかの自然な流れで生じなければなりません。そのためには、育児書にかいてあることをそのまま行うのではなく、なぜそのようにしなければならないのかという、教育的刺激の根拠を理解し、状況に即した形に成形しなおす必要があるでしょう。子どもの流動的で、逐一変わる心境や、周囲の環境を鑑みて、ありとあらゆる教育法の刺激のなかから最良のものをチョイスしなければなりません。もし、適当なものがなければ、考え方に沿った方法を自分流に改良して、臨機応変に刺激しなければなりません。その臨機応変さというのは蓄えれた育児書の知識の山のなかから、無意識を経てやってきます。蓄えた知識が2~3冊程度では無意識下で対応することはできないでしょう。できれば、その育児法が採用している基礎学問もあるていど知っておいたほうが良いように思います。しかし、現在進行形で育児をしているパパママが、膨大な育児書やその周辺学問を仕入れることは無理があると思います。そんな時間があるなら子どもと向き合っているほうがよっぽど、早期教育になりますよね。
育児書よりも絵本の読み聞かせ
そこで、もう、「どの教育法が一番いい」とか、「育児書をたくさん読むのは無理だ!」というかたは、てっとり早く確実な方法があります。それは、オーソドックスに絵本の読み聞かせを沢山し、子どもが欲する本は無制限に買い与えることがベターだと思います。絵本の読み聞かせはどの教育法にも、だいたいにおいて共通するオールマイティーで失敗のない教育法だからです。下手にいろいろな教育法に手を出したり、幼児教室に通わせたり、ドリル学習を強要するよりも、それらのことにかかる全ての時間や費用を絵本の読み聞かせに費やしたほうがはるかに成功する確率が高いくらいです。結局、最終的にたどり着いた場所は絵本の読み聞かせですね